京都レポ 三日目

友人が京都出身だったので、京弁はだいぶ慣れてるつもりだったんですが、やっぱ現地に行って聞くといいですよね。
市バスのアナウンス、「お乗り換え下さい」「ありがとうございます」とかも、ちょっとイントネーションに特徴がありました。
文字じゃ伝えきれないのが悲しい…
おのりかえ
→↑↓→→
ああ全然ダメだ…

マックの店員さんに「コーヒーにお砂糖…」と言われたとき、一瞬意味がわからなかった。
「おさとう」が「→→↑↓」ってなるんですね。ってやっぱ全然伝わらない…

まぁ方言に関しては自分もかなりあるんですが、京都弁は別格でかわいらしいです。
生まれるとき方言を一つ選ばせてもらえるなら私は京都を選ぶ。
ふんわりほんわか優しいかんじなんですよね。
友人がそんなかんじのキャラで京弁話すので、その刷り込みが大きいのかもしれないですが。

5日もいたので、たまにエセ京弁使ってみたんですが、どうにもエセっぽくてダメだ。
頑張って使ってみて、お店の人に「どこから来たんですか?」って聞かれたときの恥ずかしさったらないですね。


そんな感じで3日目!
池田屋探索追跡コース!
「(5) 祇園、東山巡り」と「(4)河原町、木屋町、先斗町巡り」を使います!
デジカメと「写真を撮る行為」に慣れてきて、だいぶパシャパシャ撮りました。
バス停「祇園」下車。
今日の出発点はこちら!


八坂神社(重要文化財)★★★★☆
スサノヲノミコトが祭神。全国各地にある八坂神社の総本社。祇園祭が有名。
実家の近くにもあるんですよ。八坂神社。
あれの親玉さんか~と感慨深く。

DSC00010a.jpg  DSC00011a.jpg

朝8時半の静謐な空気の中、千と千尋の世界を堪能してきました。
もともと寺より神社の空気が好きなので、もう心身共に浸ってきました。
夜に雪が降ったらしく…日が当たっていないところは未だ白く積もってます。
朝早かったからか人も少なくて、空気も気持ちよい。常に深呼吸したくなる。
本殿の他、沢山のお社があり、旅行の神様交通安全の神様美肌の神様などなど…全ての神様にお参りしてきました。

他の参拝者を見て気づいたのが、神道のお参りの仕方は「二礼二拍手一礼」ですが、神殿の手前の「鳥居」をくぐる前とくぐった後に、ちょっと立ち止まって一礼、せめて会釈をしたら、とても品が良く見える。
プロっぽいというか。(何のプロだよ)
なのでそれから真似してます。オススメ!

そんなかんじで、朝の気持ちよい散歩を済ませ…本腰入れて池田屋へ。

DSC00014a.jpg  DSC00013a.jpg

八坂神社の楼門(重文)の階段は、谷三十郎が死体で発見された場所。
暗殺か事故か…未だ真相はわからないそうです。
右は楼門から見た祇園。なんというか…祇園~~!ってかんじ。
池田屋事件当日、バラバラに屯所を出発した隊士達はこの交差点左手の角に集合、近藤隊と土方隊に別れて出発します。


四条大橋★☆☆☆☆

DSC00016a.jpg

まぁ…橋ですね。
土方隊は鴨川の東を調べてたそうなので、この橋を渡ったのは近藤隊だけなはず。
殿内義男の粛清現場でもあります…。
橋の上って、横から襲われる心配がないから、斬り合いに利用されやすいとか…
この橋も幾度戦いの舞台になったことやら…
って、そんな情緒はあまりかんじない、近代的なコンクリ造りなんですけどね。


枡屋跡★★☆☆☆

DSC00017a.jpg

古高俊太郎のアジト、枡屋跡。
場所は四条通りから一本北に行った小路を中に入るんですが…
この堀川沿いって、なんというか、いわゆる飲み屋街なんですよね。歓楽街っていうの?
博多で言うと中州。(ローカルにしか例えられない)
そしてそういった下町の飲み屋街って、えてして小路一本入ると風俗街なわけで。
「しまった!」と思ったときは、もう引き返すより突っ切る方が早かった。
時間が午前10時前という、一番静かな時間帯だったのが幸いし、人にはあまり会わずに済みました。

唯一、この枡屋跡の4、5軒お隣のビルの入り口でオジサマが煙草すっておられ、いかにもその筋のお仕事請け負ってらっしゃるかんじの方で、「この子こんな時間になにしにきたんだ?面接やってねーよ?」と言いたそうな不思議そうな顔でこちらを見てらっしゃいました。
すみません。
しかも写真撮りだしてすみません。

枡屋は、道幅1メートル程度、人とすれ違うのにも苦労するくらいの小路に面しており、間口も3、4メートルくらいで狭く、とてもこぢんまりというか…いかにもアングラな雰囲気漂うところでした。
こんな小さな店によく目をつけたな監察方…。

とにかくちょっと女性一人では行ってはならないかんじの場所にあります。
ここはなるべく男性含めた二人以上で早い時間に行った方がいいなぁ。(しかし恋人とも行きづらい雰囲気w)


河原町通りに出て次は…

近江屋跡★★☆☆☆

DSC00018a.jpg

即ち坂本龍馬が暗殺された場所!
これ「暗殺」じゃなくて「遭難」って石碑に刻んでるんですね。
雪山じゃないんだから…!「殺」って文字が不吉なのかな…?

この河原町通りというのは、たぶん今の京都のメインストリート。
有名デパートが軒を連ね、商店街のアーケードが続きます。
小倉で言うと、井筒屋から伊勢丹に続く道路。(超ローカル!)
そんな交通量も人通りも多いアーケードの一角に近江屋跡。
今は旅行代理店になってます。

写真…めっちゃ撮り辛かった…恥ずかしくて…。
これ曲がってるのは、一枚で気力が尽き、撮り直すことができなかったからです。
一枚だけ撮って撮り逃げました。
正直、後ろが旅行代理店とわかったのは、ホテルで写真見たときですからね!
そのときは「何か本のようなものが並んでる」くらいにしか認識できなくて、普通に本屋さんだと思ってたよ!
どれだけ逃げの姿勢だったんだ!


河原町通りを右に曲がり、蛸薬通りを鴨川方面に進みます。
すると高瀬川にぶち当たる。

木屋町通り★★☆☆☆

DSC00019a.jpg

この写真の右手側が木屋町通り。
池田屋事件当日、近藤隊が捜索したと言われる通りです。
先述の通り、このあたりは歓楽街。
昼前のこの時間帯は静かなものでした。

実は近藤隊の調べた道をしっかり把握してなくて、もう一つ堀川沿いの先斗町通りとどっちかわからなかったので、どっちも写真撮ってきました。(実際どっちも近藤隊が捜索していたようです…)

DSC00020a.jpg

この右の手前のお店ですが、看板に「出会茶屋」って書いてあったんですよ!
本当に本当の意味での…?
それとも歴史的文学的な意味で…?
江戸時代から続く出会茶屋とかだったらすごいですよね(笑)


三条大橋★★★☆☆

DSC00021a.jpg

長州を非難する看板をこの橋のたもとに掲げたところ、何者かに抜き取られるという事件が起こりました。
掲げては抜かれ掲げては抜かれするので、とうとう新選組に犯人逮捕のお鉢が。
そこで数人をこの橋の下に乞食姿で忍ばせて、怪しげな集団を一網打尽にしたとのこと。

また桂小五郎も、逃亡中はよくこの橋の下で乞食に扮していたそう。

DSC00022a.jpg

こちらは三条大橋の下付近からの鴨川の眺め。
桂さんもこの景色を見ていたんでしょうか…。
今は護岸整備がきちんとされてて、犬の散歩や観光客を多く見かけました。

この鴨川左手は、土方隊が捜索していた通り。
そして三条大橋を渡って池田屋に合流したはずです。

DSC00002z.jpg

こちらが例のお札を立てた高札所。
今はスタバです。
また近藤さんの首が京都に送られ晒されたのも、三条河原ということなので、この辺じゃないでしょうか…。

DSC00001z.jpg

四条大橋と違って、木製?っぽい雰囲気ある三条大橋。
欄干も雰囲気あって素敵です。
この傷は池田屋事件の際に付けられたっぽいと説明の札に書いてありました。


さていよいよ!

池田屋跡★★☆☆☆

DSC00004z.jpg

三条通りの結構大きな通り沿い。
河原町通りほどではないですが、人通りもそこそこあります。
そんな傍にぽつんと石碑。
噂ではパチンコ屋だということだったんですが、写真の通り、潰れてましたw
誰かお金持ちの新選組オタが買い上げて保存してくれないかな…

祇園からこの池田屋まで、普通に歩けば10分から15分ほどで着きます。
近藤隊は実際には3時間もかけてこの区域を捜索していたというんですから、どれだけじっくり確認していっていたかわかります。


さて。
土方隊が探索に来たと言われる四国屋ですが、完全に地図を読み違え、スルーしてしまいました…アホや…。

木屋町通りをさらに北上していくと、桂の恋人、のちに妻となった幾松が芸者をしていたお店跡があります。

幾松寓居跡★★☆☆☆

DSC00007z.jpg  DSC00008z.jpg

新選組に踏み込まれた際に、桂をつづら?の中に匿い、近藤に詰問されるも、堂々たる態度で捜索を拒否し、桂の窮地を救ったという逸話もあります。
まぁ池田屋のときは桂は違うところにいたし、それ意外で近藤自ら探索に出かけたことって少ない気がするんですけど。
武家出身の剛胆な気っぷだったという幾松の性格が伺えます。

今も「幾松」という名のお店が開いていますが、あの「幾松」がそのまま続いているのかどうかはわかりませんでした。
表に出ているメニュー表を見てみると、普通に一万円代のランチメニューだった。ひいぃ


DSC00009p.jpg

高瀬川沿いにこんなものがあったので。
森鴎外の高瀬舟は、これなんですよね。
水深がえらい浅くて船の底がこすれそうなんだけど、大丈夫なのかな…。
現役のときはもう少し水かさあったのかな。


桂小五郎像★★☆☆☆

DSC00012z.jpg

長州藩邸跡を探すべくかなりうろちょろしたんですけど、どこにも見つからなかった…!!
ただ立派なホテルオークラがあるばかり…!
この像はホテル前の目立つところにドーンとあります。
長州藩邸もおそらくこのあたりにあったものと思われます。

桂は美男子だったと言われますが、この像、確かにイケメンなんですけど、ちょっと無骨風なイケメンなんですよね。
私のイメージはもうちょっと優男なんだけどな。


以上池田屋探索めぐり。
一つ一つの史跡は単なる石碑だったりするだけなのでたいしたことありませんが、順番に道順を辿っていくと、距離や雰囲気を感じ取ることができて超楽しかったです。五つ星!
池田屋や枡田屋のある繁華街ノリは、当時もそうだったんじゃないかと想像できて面白かったw
そして長州屋敷以北にある幾松や攘夷志士ゆかりのお店は、同じ飲み屋でも少しお上品な通り。
アングラではなくおおやけってかんじの。
これこそ当時とは変わってるんだろうけど、それでも脳内イメージとシンクロして笑ってしまいました。


さてお次は近場に面白そうなところ発見。

本能寺★★★☆☆

DSC00014z.jpg

「敵は本能寺にあり!」のあの本能寺です。
といっても、本能寺の変の後移転してきて今の土地にあるので、実際は違う場所だったんですけど。
それでも織田信長の墓所もあり、風格漂っています。
場所は京都市役所の真ん前、周囲をビルに囲まれた中庭のようなところにあります。
意外に街中なことにびっくり。
移転前にあった(本能寺の変当時の)場所も、イメージよりは普通に町(平野部)だった。
もっと山の中にあると無意識に思ってました。

丁度宝物館公開中で、信長ゆかりのお宝が公開されてました。
その中の茶道具に面白いエピソードが。
信長が茶道を好み、茶碗やら茶釜やら集めていたのは有名な話。
今までそれは茶道具にステータスがあったための権力誇示ととられてきましたが、最近新しい説が唱えられているそうです。
それも「信長はアルコールアレルギーだった」説。
アルコールを全く受け付けない体質だったため、酒が介在しない遊行の場としての茶の湯に傾倒していたんだとか。
へええw面白いw
確かに今でも交流を深める場にアルコールは不可欠だったりしますもんねぇ。気持ちわかるな…。

本能寺の変前夜は盛大な茶会が催され、信長秘蔵の茶道具類がお披露目されたそうです。
現存すればどれも国宝級だそうで…光秀なんてことを…。
その後、「三劫無勝負」となった碁の御前試合が行われ、翌朝に本能寺の変が起こったのです…。

宝物庫、本殿、信長廟と、見どころ満載の本能寺でした。


さてと!
京都御所の予約時間までまだ少しあるし、ちょっと京都の若者が集まる繁華街でもぶらついてみようかな。
ということで本能寺から南下して大きなアーケード街をうろうろ。
小倉で言うと銀天街なところ(だからローカルはry)。

しかしここで迷子ですよ!
碁盤の目状に道が通っているということは、わかりやすいときはわかりやすいんですが、一度迷うとどこも綺麗な四つ角で特徴が見いだせない!
今どこの角なのか、十字に交差しているこの道のどれがどっちの方角に対応しているのか…わからん。
京都御所の予約の時間が刻々と…

やっと抜けだしバスに乗れたんですが、結構時間ぎりぎり。
つーかあそこ最寄りバス停から二キロくらいまた歩かないといけないからね!
一口で御苑と言っても、そこ入ってからが長いから!

また駆け足で滑り込み。
息も絶え絶えですよ…。
でもやっと念願の御所内潜入に成功!


京都御所★★★★☆

見学者は決まった時間に集合し、宮内庁の案内の方と一緒にみんなで見て回る形式です。
案内の方だけでなく、集団の最後尾に「宮内庁警察」の腕章をつけたお兄さんも一緒に回るのがさすが(笑)
内部は純日本風寝殿造りの美しい建物ばかり。
私は今でこそ幕末好きですが、もともと日本史では平安時代が好きでした。
百人一首とか父と真剣勝負したり…今でも8割は言える…はず。たぶん。
源氏物語枕草子等、王朝文学大好き。

なので、それらのなごりを残す建物を実際に目にすることができたのは、本当に良い経験でした。
しかも中は写真好きに撮って良いとのことで!
いっぱい撮ってきました。
一部公開(笑)


DSC00024z.jpg  DSC00023z.jpg

紫宸殿。
御所の正殿です。
即位式等の厳儀を行う場所で、天皇の位を持つ方しか登ることはできません。
案内の方は「歴代天皇陛下と私たち掃除係しか入ったことないんですよ!」とおっしゃってました(笑)
この案内の人ホント面白い人だったw

私たち下々の者は、朱塗りの門(承明門)にさえ触れることはできませんw
この門の中、白い石が敷き詰められた美しい庭ですが、ここも儀式の際は様々に使われる舞台の一つだそうです。(舞を踊ったりする)

「右近の橘、左近の桜」が写るポジションからも。
これは紫宸殿にいらっしゃる天皇陛下から見ての左右の表現ですので、相対すると向かって右が桜、左が橘になります。
お雛様飾るときは間違えないように。(案内の方からのご注意)


DSC00036z.jpg

続きまして清涼殿。
平安文学には必ずでてくる名前。
それもそのはず、天皇陛下が日常生活の場としてお使いになったところだそうです。
手間に植えてあるのは竹なんですが、「まっすぐ伸びるので縁起がいいから」とか「さらさらという葉の擦れる音が、外に出ることが叶わない天皇陛下をお慰めするから」とかいろいろいわれがあってはっきりしないそうですが、清涼殿のシンボルとなっています。


DSC00040q.jpg  DSC00038q.jpg

御学問所と小御所。
その名の通り学問のための御殿だったり、皇太子の元服式や立太子礼に用いられたりした場所。
しかしここは日本史最大級の大転換が発表された場所でもあるのです。

慶応3年12月9日、この京都御所御学問所において、明治天皇ご臨席の下、「王政復古の大号令」が発せられました。
そしてそのあと隣の小御所に移り、江戸幕府や徳川慶喜をどうするかの話し合い、「夜の小御所会議」が朝まで繰り広げられたということです。

前日に二条城に行って、大政奉還の現場を見…そして今日王政復古の大号令の現場を見て…
幕末の激動が肌で感じられるような、不思議な感覚になりました。


DSC00042z.jpg

御池庭。
回遊式の美しい庭園です。
中央の橋は、外国からお客様がいらした際、天皇皇后両陛下とご一緒に、この橋の上で景色を眺められる様子がいつも紹介される、「お決まりのポジション」なんだとか。
そういえば見たことある気がするよ!
普通に写真撮ってたら、案内の方が「プレス席はこちらです」って教えてくれたw
プレス席からのお約束の風景、いかがでしょうか?w


DSC00055z.jpg  DSC00053z.jpg  DSC00052z.jpg

楽しい御所見学も終わってしまいました。
最後に記念に外からの様子を。
左と真ん中は、御所の正門、建礼門。
向こうに承明門と紫宸殿の屋根が見えます。
この正門に続く道幅を見て下さい…。
土壁も延々数十、数百メートル続きますからね…。

昨日は「ここから入れないのか!?迂回めんどい!」と思いましたが、とんでもありませんでした。
ここは天皇陛下しか通ることができない門。
皇后陛下でさえ、天皇陛下と一緒でない限り、お通りになることはできないそうです。
あと外国の元首がいらっしゃったときもこの門から。
首相はダメ。
皇后陛下、皇太子殿下、外国首相が用いられる門は、「建春門」がちゃんと別にあります。
下々の者は…一番右の写真。御所の勝手口といえる通用門で、「御台所御門」というそうです。
私たち参観者もここから。
この圧倒的な格の違いが写真で伝わるでしょうか…。
檜皮葺き屋根って、ものすごく重厚で壮大で、格式があります。
瓦とか…ふっ(と鼻で笑いたくなる)

DSC00028q.jpg
御所内で檜皮葺き屋根の構造も展示してありました。
神社とかで見かけるたび、いつもどうなってるのか不思議だったので嬉しかったw
見ればわかるように、あの分厚い屋根は外側だけなんですねw
中身は結構薄いんだw(それでも檜で葺くのはすごいけど)


御所見学が終わり、微妙に時間が余ったので、もうひとつくらい回れるかなと思って…

平安神宮
明治28年創建。
平安遷都1100年を記念し、京都の平穏を願ってつくられた。
祭神は平安京に遷都した桓武天皇と、京都での最後の天皇となった孝明天皇。

という、比較的新しい神社です。(百年前でもひよっこな気がしてくるのは、京都ならではの感覚の狂い)
しかも一度過激派の放火による火災にあったそうで。
1979年に再建されたそうです。

って、中入れなかったんですけどね!
時間終わっててね!
仕方がないので、取りあえず外から写真だけでも。

DSC00057z.jpg  DSC00056z.jpg

どう見ても竜宮城です。本当にry



疲れた足を引きずり、ホテルに戻りました。
でも昨日一昨日ほどの死にそうな疲れは無い。
長距離を歩くということに、体が慣れてきたかんじがします。

今日で幕末関連はほぼ終了。
残り二日は本格的に神社仏閣巡り!
楽しみです!

Comment