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京都レポ 1日目

もうだいぶ経ってしまいましたが…京都行ってきました!
4泊5日で、結構じっくり一人旅。
お目当ては幕末関連の史跡と神社仏閣巡り。
幕末史跡は参考サイトを随分前から決めてたので直前で悩んだりはしなかったのですが、神社仏閣巡りがね。
地図ぱっと見てすでに数えきれないほどあるので、「とりあえず国宝を重点的に見よう」と思って調べたら、普通に国宝ありすぎ吹いたwww
これは全部見るの無理wwさっすが京都w
なので周囲の人の意見を取り入れつつ、おおまかなブロックと行く日付だけ決めて、あとは現地で気になったとこ適当に見て回ろうと、旅始める前から行き当たりばったり確定。
でも銀閣寺は超楽しみ。
中学校の修学旅行で行けなかったのがずっと心残りだったので、何が何でも行ってやるぜ!

そんな意気込みで京都。
幕末関連で参考にしたのは「京都新選組町作りの会」様ホームページの「幕末の京都を歩く」。
広域地図をヤフーマップから、あとこのサイト様の地図をダウンロードして、道に関しては困ることなく行けました。
何番の地図を使ったか書いておくので、これ見ながら読んでいただければ、タカノがどういう道辿ったかわかりやすいと思います。
ってそんな真剣に読めるものじゃないんですけど…もし同じようなこと企んでる方いらっしゃれば、参考になるかなぁと。
あとやっぱ実際に行って、屯所→島原の距離感とか(笑)体験できたのはとても面白かったし貴重な経験でした。
地図で少しは伝わればいいなと思います。

あとデジカメは父の借り物で、使い方全くわからなくて…
なんか日付入ってるけど気にしないでください(笑)

星マークは五つ星判定で、私が面白かったまた行きたい!と思った度合いです。


ということで!さっそく一日目!
新幹線で京都に着いたのが13時前の結構なお昼。
さっそく新選組関連のところに行く予定だったのですが、京都駅に着く直前、新幹線から美しい五重塔が見えたんです。
なんかあれよく見るよ?パンフレットとかでよく見るよ?京都の玄関的な位置づけで。
見たい!あそこ行きたい!と、いきなり予定変更。
でもその甲斐あった素晴らしかった。

東寺(世界遺産)★★★★★
796年造営開始。(平安京遷都が794年なのでその直後)
826年空海が賜り五重塔創建着手。真言宗総本山。
数度の消失を経て、徳川家光の寄進により1644年現在の塔完成。

DSC10002a.jpg  DSC10001a.jpg

ほんと写真撮るの下手くそなんですけど…逆光ってどうしたらいいの?
こちらは「日本最高の古塔」東寺の五重塔(国宝)。
これ「サイコー!」って意味ではなく、最も高いという意味です。
ずっと勘違いして解説聞いてて、「やはり地元の方は誇りを持ってらっしゃるんだなぁ」と見当違いに感心してました。
886年に建てられてから、過去一度も地震による倒壊はなかったという自慢の耐震構造。
しかし4度も火災にあい、今は5代目の塔なんだとか。
それでも1644年に建てられて、300年以上経過してるんだからすごいですよね。
火災によく合う原因は、京一番の高さの塔だったため雷がしょっちゅう落ちてたからだそうです。
なるほどねー。

運良く数年に一度の初層内部公開期間で、中を見ることができました。
 超 カ ラ フ ル 。
赤と緑の彩色が柱から壁から天井から全面に。
絵の内容は真言密教の高名なお坊様や仏様。
中は結構狭く、巨大な心柱が一本、その周囲を4人の如来様、さらにその如来様を二人ずつ菩薩様が挟んで、計4+8の12体の仏像が。
さらに心柱は大日如来に見立てることができるそうで、めっちゃくちゃ御護り効いてそうです。


DSC10003s.jpg  DSC10004s.jpg

金堂(国宝)と講堂(重文)。
どちらも大きくて堂々とした風格ある建物です。
中にはそれぞれ仏像が安置されています。たくさん。
そしてどれもこれも国宝か重要文化財。
中は光があまり入ってこないので薄暗く、独特のお香の香りがし、外から信者の方の読経が聞こえるという雰囲気満点のお堂でした。
そして前面では多くの国宝仏様がこちらを見つめてるんですから、本気で悪いことできません。
今までの悪事を懺悔しつつ…外にでたとき日光が眩しかった。
密教のお経?は「オン~~ソワカ」ってやつなんですが、それがあちこちから聞こえてくるんですよ。
ああ、今でも普通に真言宗の総本山なんだなって肌で感じました。
天狗みたいな格好してる人もいたし。
あの古代インド?の文字(なんて言うんだっけ。梵文字?サンスクリット語?)もあちこちに書いてあって、正直
「わぁ~安倍晴明みた~い☆」
とつい思っちゃって…その辺を重点的に懺悔してきました。



さて。
東寺が予想以上に有意義で、時間があっという間に過ぎてしまったので計画を修正しつつ次へ。
駅近くにホテルとっていたのでとりあえずチェックイン。
正直すでに足が疲れてきて…今後の予定を不安に思いつつ…。

次はいよいよ新選組巡り!
まずは手近なとこから!
地図は「(2) 京都駅、油小路、島原巡り」を使いました。
油小路は帰りにじっくり見るとして、まずは…


近藤勇恋人宅★☆☆☆☆

DSC1006a.jpg

いきなりかい!てかんじですが。
この近藤さんの休息所?は3個目の屯所のすぐ近く。
近藤さんちが近いからこの場所を屯所にしたのか、屯所が近いからこの場所に居を構えたのか。
写真のとおり、今は学校になってて跡形ありません。
というか写真に慣れて無くて一枚撮るのにもどっきどき。
操作が良く分からない上に、いかにもな観光地ならともかくただの路地を撮るなんて恥ずかしい…との恥じらいがまだあって、写真少ないです。
屯所跡のリーガロイヤルホテルも撮れば良かったと思いつつ…またの機会に。

地図にない小道を真っ直ぐ抜けると興正寺。
これも壮大大きな立派なお寺でしたがその奥に。


西本願寺(世界遺産)★★★★☆
浄土真宗開祖たる親鸞聖人の姪にあたる方が宗祖。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)の本山。(東本願寺もある)
新選組が前川邸の次の屯所にしていたところ。

なんつーか……なんてところに駐屯してたんだよお前ら…ってかんじのお寺でした。
世界遺産で砲撃練習…。
そりゃ迷惑だわぁ…w
全然知らなかった私は完全に勉強不足ですが、それでもこんな立派なお寺とは思ってなかったんですよ。
つーか…西本願寺って あ の 西本願寺かよ…!
知り合いに結構ヘビーな浄土真宗門徒がいるんですけど、彼は東本願寺派?の分派?だった(と思う)ので、意外に馴染みがありました。(本願寺のやつらはぬるい!と出て行った人たちが東に新たな本願寺を作り、西東と呼び分けられるようになった)(と聞いたけど違うかも…)
そりゃ新選組が西本願寺に~ってのは知ってましたが、日本全国に護国寺があるような、そういう呼称だと思ってたんですよ。
総本山て…そりゃあ迷惑だわぁw

阿弥陀堂(重文)の中にも入ってお参りしてきました。
広い、でかい、超豪華。
今でも「すっげぇ」としか言いようがないのに、当時はどれほど人々を圧倒させただろうか…
数百畳はありそうな中に、金ぴかの仏様や菩薩様、親鸞聖人のご真影…目がちかちかするくらいきらびやか。
こんな中で教義を説かれたら、一気に入信しそうです。絶対そういう効果も狙ってると思うな。

裏手には幼稚園あるし、大学も近接してるし、その規模の大きさは肌で感じることができます。
そして…新選組は予想をはるかに超えてとんでもないことやらかしてたんだと…(笑)

写真を撮ろうと思ったんですが、信者の方がずっと熱心にお参りされてるので断念。
有名な太鼓魯も見たかったんですが、うろついてる間にわからなくなり、おまけに僧侶のお勤めの時間になったようで断念。
また機会があったら行くことにして。
地図上の第二屯所跡は、高い塀に囲まれた私有地で、(たぶん)立ち入り禁止区域でした。


計画通り花屋町通りを抜けていきます。
ここは下町の商店街といった、地元の方の日常生活の香りが漂う素敵な通り。
イコール「いかにも観光客(地図を片手にキョロキョロおぼつかない足取りで歩いてる)」な私には肩身が狭い!すんませんほんとすんません。
と思いながらも…ここ、この道を、新選組隊士たちは歩いたんだなぁと思えば…感無量です。
時間にして10分もかからず…走れば2、3分で行けるんじゃくらいの予想以上の近さで到着。


島原大門★★★☆☆

DSC10007x.jpg  DSC10008a.jpg  DSC10009x.jpg

小さい…。
あれ、大門っていうからすっごい大きさを想像してたんですが…意外に普通だな。
しかしここで幾人の客と遊女が別れを惜しんだかと思えばまた感慨深い場所。

「島原」というのはてっきり地名だと思ってたんですが、正式な地名は「西新屋敷」というそうです。
そういえば番地とか書いてるやつには「西新屋敷○丁目」とある。
別の場所からこの場所に遊郭が移転してくるとき何か大きな揉め事があったそうで、それが直前に起こっていた「島原の乱」と似ていたためにこの通称で呼ばれるようになったとのこと。
へええ!私はむしろ「島原の乱」の方が京からとった地名だと思ってたよ!
それにしてもあんな九州の西の端で起こった出来事が、こんな風に俗称に使われるほど市民に浸透していたというのも、当時の情報網の発達度が垣間見えて面白いですね。


そのまま真っ直ぐ進んでいくと島原のメインストリート。
門の大きさからも想像つきましたが、そんなに大きくないです。
まぁ当時そのままの道幅ではないかもしれないけど、それにしても…まぁ、普通の…道ってかんじ。
漫画やドラマから、もっと壮大な道路を太夫がしずしず歩く…というイメージがあったのでちょっと拍子抜け。
全体的にこぢんまりしてるんですよね。
今は周囲一帯住宅地ですが、当時は田んぼと畑に囲まれていたとか。
でもそれを考え入れても、「ご公儀公認の魅惑のアイランド☆」てかんじじゃなくて、「普通に町の一区画」というかんじでした。

現在、当時の島原の趣を伝える場所は二カ所です。


輪違屋(わちがいや)★★☆☆☆

DSC10010a.jpg

こちらは現在も営業中の置屋。非公開。
屋号?が、そのまんま輪が違っていたのでちょっと笑いました。
いかにも京風長屋造りで、特に二階桟敷なんか趣があります。
伊東甲子太郎はここの太夫を馴染みにしていたんだとか。


角屋(すみや)(重要文化財)★★★☆☆

こちらは「永倉3日居続け事件」や「芹沢鴨暗殺当日の宴会」で良く耳にする揚屋。
ここかー!!と意気込んで、実際とても風情のある建物で素敵だったんですが、「内部公開は3月15日から」…年に4ヶ月ほどしか公開してないらしい。
チラシは置いてあったのでそれを見てみると、内部はとても豪華な様子。
見たかった…!
芹沢さんが最後に酔っぱらってふらつきながら帰ったと言われるあの角屋ですよ!
当然土方さんもいたんだ…!今夜暗殺するぞと思いながら…!ひいぃ!

パンフや説明文には、「もてなすを業する也」として、現在の料理屋・料亭にあたるものだと書いてあります。
一般に?知れている「風俗街」というのとは随分違う。
どちらかというと銀座の高級クラブとか、そんなかんじだったんじゃないかなぁ。

とにかく。
ここでデジカメの容量が満タンに。
…なんかめっちゃ高画質で撮ってたらしい。路地とかを。……。
予備は一応持ってきてるんですが、まさかこんな早くになくなるとは思わずホテルに置いてきてしまった…。

まぁあとは、時間が5時過ぎて日も暮れかけていたことから、そんなにたいしたところは回れなかったんですけど。
島原西門跡は、「跡」というだけあって石の記念碑のようなものだけが残ってました。
この西門から大門までは徒歩10分もかかりません。
ちなみにこの西門が面している道路は平安京のメインストリート、朱雀大路だということなんですが、たしか道幅60メートルくらいあったと読んだことある気がするんですけど、二車線程度の道になってました。

それから輪違屋まで戻って北上、新選組記念館へ。
時間的に開いてないだろうとは思ったんですけど、まさか普通の民家とは思わなかった。
京の民家というと、一軒家というより長屋風の、間口は4、5メートルくらいで奥行きがあるタイプ。
初めどこにあるかわからなくてうろうろしましたw
本当に、個人の方が趣味でやってらっしゃるんだなぁと。
また時間があれば来たいけど…ちょっと今回の旅では無理でした。

それから大宮通りまで出て南下。
今日はあと一つ、ここ行きたかったんです。


島田魁宅跡★★☆☆☆
戊辰戦争終結後、島田は紆余曲折を経た後、屯所のあった西本願寺の警備員として晩年をすごします。
その際住んでいた家がこのあたりに…あったはずなんだけど…。

うろうろしたあげくに(そうとう探して)それらしき小路を発見。
本当に狭いです。塀と民家に挟まれて。人すれ違うのも難しいような。
初めここ道?って思いましたから。私有地だったらどうしよう…と。

「えーと、ここに学校らしきものがあるはず…あ、この塀の向こうグランドっぽい、これか。そして小路…ええっこれ!?狭っ!入っていいの!?……うーん…島田さんち島田さんち…これどんな形で残ってるんだろ。石碑でもないとわかんないな…」
と、必死で島田さんちを探していると。
カキーン!!バチコーイ!!
2メートル以上ある塀で中は見えないですが、明らかに塀のすぐ向こうで野球部が練習している。
「やっぱ野球部はいいねぇ。胸がきゅんきゅんしてきたよ…学校ってもしかして高校かな。知ってるとこかも。調べてみよう」
…地図を取りだして初めて学校名を意識して見た。
……手が…震えだしたんですけど…。
いやまさかまさかそんなまさかいやまさか。
だって、あの一時期私の全青春を捧げた、あの平安高校野球部が、塀一つ境にしてすぐそこで練習してるなんて。
ああなんか監督らしきオジサマの声がするし!走れって!急げって!
しかも…!そうだしかも…!今年平安高校選抜出場するんじゃなかった!?
うわああああああああなんだそれどうしようううううううううう

と、何の下心もなく島田魁さんちを探しに来ただけのに、もうほんとどこからどう見ても高校野球ストーカーです本当にすみません。
違う…ごか…誤解だ…ただ…島田さんちを探しに…いや背伸びしてるのはちょっと足疲れたからで…耳近づけてるのはこれは…これはちょっと寄りかかってるだけ…うわーーん!!
もうね。びっくりというかたなぼたにしても限度が。
そのまま南下すると校舎が見えてきて、思いっきり「祝!選抜出場!!」と垂れ幕が。
校門に立っていらっしゃった先生らしい方と目がばちっと合ってしまい…。
違う…島田さんちを探してるだけなんです…信じて…
言い訳しそうになるのは心にやましい気持ちがあるからです。

とにかく最高だった…
平安高校のグラウンド裏の塀を見ちゃった…(頭ぽわーん)
そして帰りばな、「HEIAN」と書いたスポーツバックを背負ったボウズ頭の男の子たちがチャリで通過したりするしね!
もうね!
ここは天国かと!
ふん、野球部とは限らないって!?残念!私あのスポーツバックには見覚えあるんだ!あの濃い青色の!
野球部以外もお揃いだったらアレだけど、普通部活ごとで違わない!?
ああもう、夢かこれは。
時間も丁度5時6時くらいで部活の時間帯どんぴしゃ。神様が導いて下さったとしか思えない。

そんな島田魁宅跡探索でしたが、結局島田魁宅はどこかわからずじまいでした☆
いや、グランドに気を取られたとかじゃないよ?
ちゃんと探しましたよ?何往復かして。
いやいやグランドの声聞くためにじゃないよ。ほんとどこにあるかわからなくて島田さんち。ありがとう。

まじめな話、島田の家は本当に狭く小さい通りに面しており、慎ましく過ごしていたんだろうということが伺えました。


油小路★★★☆☆
油小路の変で有名ですが。
もう日が落ちてだいぶ経ち、濃い夕暮れから真っ暗に変わる時間帯。
伊東さんの最期を思い浮かべるには最高の時間帯ですが、携帯の写メには何も写らない…
また改めて行くことにしました。



駅でご飯でも食べようかと思ってたんですが、とてもじゃないけど足が折れそうです。
もう一歩も歩けない…と足引きずりながらコンビニで食料調達してホテルに直行。
ベッドに倒れ込んだら指一本動かない。
シャワー浴びる気力さえなく、気を失いました。
運動不足すぎ…こんなのであと4日保つんだろうか…。

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